DIYを直訳すると「自分でやる」ということだと思うのだけど、なぜか日本語で言うと「日曜大工」になってしまう。言い得て妙というか意訳としては素晴らしいとも思うが本来の意味とは少しかけ離れているようにも感じる。
そもそも、日本にはDIYの文化意識が低いと言われるが、この一般的な認識には少し疑義を唱えたい。このように言われるのは恐らく「戦後の高度成長期の日本」という注釈がつくだろう。
DIYは欧米の文化のように思われがちだが、日本でも昔は、集落の身近なところに里山があって、そこから木を切ってきて椅子や机をつくったり小さな小物をこしらえたりしていたことだろうし、なんでも「自分でやる」を実践していたのではないだろうか。
それが、高度成長期には「自分やる」働き頭であるお父さんは勤め人となり、家のことを「自分でやる」 より働いたサラリーで「買う」ことのほうが手っ取り早くなってしまった。そして、昔はそれ事態がライフスタイルのなかに溶け込んでいた「自分やる」ことも、次第にビジネスとして成り立つようになり、お父さんが「自分でやる」ことをイベントとして楽しむようになった。そういう意味で「日曜大工」というのはステキな意訳だなと思う。
でも時代は常に変革している。その時代にマッチした言葉というのは、時代背景を表せば表すほど時代からおいてきぼりにあう。
貨幣社会の閉塞感がマックスに到達しようしているなかで、僕たちは「自分でやる」ことの意義を見いだそうとしている。色々な場所で色々な人達が、自らアーティストになり自ら職人となり、自ら発信している。それをDIYというべきかどうか、言葉の選択肢にストレスを少々感じるけど、「自分でやる」ことを実践する生活スタイルが浸透しつつある。
しかも、高度成長期のように「日曜大工市場」をビジネスモデル化するのではなく、それは共有であり、共感であり、コミュニティのなかで行われようとしているのだ。<BR>
0 件のコメント:
コメントを投稿