先日、兵庫県三田市のリベラルさんという子育てママを支援する人材バンクの会社が主催するマーケットに出店したときにこんな男の子がいた。
小学2年生ぐらいだっただろうか。僕たちは、ウッドシェーカー(オトノタネと呼んでいる)づくりのワークショップをこども向けにやっていたんだけど、女の子たちがキャーキャーいいながら木にボンドをつけたり中に音の鳴るビーズをいれたり自由に絵を描いたりしているのを少し遠まきに眺めている。
こっちおいで、一緒に遊ぼ!と言っても固まって動かない。やさしそうなお母さんが近くにいて、やってみたら?と勧めているがお母さんの袖をつかんで動かない。
多分お母さんは、息子さんがものづくりや音楽が好きなのをわかっていて勧めるのだが恥ずかしがりやなんだろうな。動かない。
根気よく、声をかける。お母さんも根気よく、やってみたら?と勧める。少しはにかみながらできあがったウッドシェーカーを手に取る。いったりきたりして約30分ぐらいは経っただろうか。ようやく僕らとお母さんの説得(笑)に負けて、木の部材にボンドをつけ始める。
僕は、幼稚園の先生でもないし専門的なことはわからない。でも、こういう過程ってとても大事なような気がした。その男の子、そこからが溶け込み具合が急スピードだった。
お母さんに聞くと、ものづくりが大好きで音楽が大好きって。
ウッドシェーカーをあっという間につくって、西條先生のギターと僕のカホンで演奏&合唱会笑。カホンにも食いついてポコポコやりだしたと思ったら、なんのなんのめちゃめちゃうまいやないかい。
僕らは、その子に言いました。「壁をやぶったな!」
男の子は水を得たさかなのように活き活きしてました。
それから僕が持ってたバードコールをみて、「これはどうやってつくるの」と聞いてきました。僕は、なにかめちゃめちゃうれしくなりました。車に積んである木の端材を持ってきて、絵を描いて作り方を教えてあげました。
学校の勉強が得意な子、スポーツが得意な子。それと同じように。こういう子たちが、クリエイティブな力をセーブする事なく自由にブレイクさせる場を僕はつくりたいなと改めて思いました。
リベラルマーケットの様子
2013年4月6日土曜日
2013年2月8日金曜日
つくるってことはつながるってことかい
僕は地域とつながったり、人と人をつなげたりすることに、とても意義を感じてたり好きなだけで、地域おこしをしようとかムラビジネスをしようとかそんな大それた気持ちは更々思ってないし、そもそも「ちいきをおこさないといけないのか?」と感じることもしばしばある。
丹波の中野なんかはいい例で、ムラには何代も前から脈々と築いてきた文化があり、高齢化とは言ったって、それはそれでなんとかやっているわけで問題ない。
ただ、子供や孫の代のことを考えると、このままでいいのかという思いはやっぱりあって、少しでもムラが賑わって、若い人達が戻ってきたり引っ越してきたりすればいいなあ、という思いもあるのも事実。
先日、八百光というファンキーな屋号(実家が八百屋)を名乗る垣内さんという建築家のかたの話を聞く機会があった。彼は大学を卒業した後、アトリエ系の設計事務所に数年勤務し、独立するも引きこもりのように毎日悶々としていたという。
きっかけをつかんだのは、幼馴染みの友人が自宅の町家を改装したいので設計してほしいとの依頼からだそう。そもそもその友人は、予算が30万円しかないと言い放ち、それならば自分で施工しろ!というところからのスタートだったのだそう。
いわゆるDIYなんだけど、日曜大工とかリノベーションとかコジャレタ感じのセルフビルドではなく、基礎はハツルわ、アルミの玄関ドアは、廃材業者に売りに行くわのガッツリ系。その友人が8ヶ月かけて改装していくにつれ、全くの素人が「職人」になっていく様は本当に痛快だった。
その過程で、近所の人や親戚や友人など、色々な人達の関わりや手助けによって完成していくのだけど、これって、よくよく考えてみると昔は家を建てるとか手を入れるってことはこんな感じだったんだろうなと思わせてくれるし、「りのべーしょん」なんかよりずっとカッコええ。
そしてその名残のある60代、70代世代の特に田舎のおとっつあんは、大工仕事ぐらいできて当たり前の強者がごろごろいるんだよな。そう考えると、これって貴重な財産で眠らせてるわけにはいかんよな、と。
地域おこしなんて必要あるんか?という問いに、僕は未だに答えを持ってはいなけど、家を建てるとか何かをつくるとかいう作業は、1人でどうにもなるもんでもなく、色々なひとが関わりその過程で生まれる物語みたいなものが大事で、そういうのがその地域を元気ににぎやかにしていくんだろうなと思った。
そういう意味で、いつも何かをつくり続けてたいなと思う今日この頃。
つくるってことはつながるってこと。かい?
手づくりカホンプロジェクト
丹波の中野なんかはいい例で、ムラには何代も前から脈々と築いてきた文化があり、高齢化とは言ったって、それはそれでなんとかやっているわけで問題ない。
ただ、子供や孫の代のことを考えると、このままでいいのかという思いはやっぱりあって、少しでもムラが賑わって、若い人達が戻ってきたり引っ越してきたりすればいいなあ、という思いもあるのも事実。
先日、八百光というファンキーな屋号(実家が八百屋)を名乗る垣内さんという建築家のかたの話を聞く機会があった。彼は大学を卒業した後、アトリエ系の設計事務所に数年勤務し、独立するも引きこもりのように毎日悶々としていたという。
きっかけをつかんだのは、幼馴染みの友人が自宅の町家を改装したいので設計してほしいとの依頼からだそう。そもそもその友人は、予算が30万円しかないと言い放ち、それならば自分で施工しろ!というところからのスタートだったのだそう。
いわゆるDIYなんだけど、日曜大工とかリノベーションとかコジャレタ感じのセルフビルドではなく、基礎はハツルわ、アルミの玄関ドアは、廃材業者に売りに行くわのガッツリ系。その友人が8ヶ月かけて改装していくにつれ、全くの素人が「職人」になっていく様は本当に痛快だった。
その過程で、近所の人や親戚や友人など、色々な人達の関わりや手助けによって完成していくのだけど、これって、よくよく考えてみると昔は家を建てるとか手を入れるってことはこんな感じだったんだろうなと思わせてくれるし、「りのべーしょん」なんかよりずっとカッコええ。
そしてその名残のある60代、70代世代の特に田舎のおとっつあんは、大工仕事ぐらいできて当たり前の強者がごろごろいるんだよな。そう考えると、これって貴重な財産で眠らせてるわけにはいかんよな、と。
地域おこしなんて必要あるんか?という問いに、僕は未だに答えを持ってはいなけど、家を建てるとか何かをつくるとかいう作業は、1人でどうにもなるもんでもなく、色々なひとが関わりその過程で生まれる物語みたいなものが大事で、そういうのがその地域を元気ににぎやかにしていくんだろうなと思った。
そういう意味で、いつも何かをつくり続けてたいなと思う今日この頃。
つくるってことはつながるってこと。かい?
手づくりカホンプロジェクト
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