2012年6月14日木曜日

間伐材使ってますって言うのをやめようかな

「間伐材を使ってます。」といういうとわかりやすいだろうという思いもあって、僕たちは間伐材を使って打楽器をつくるワークショップをしています。と簡潔にいうとこのような言い方になるのだけれど、常々、いやなんか違うんだよな、という思いを抱いてきた。

もちろん間伐するということが大事なのだけれども、それ自体が目的ではない。最終的には、森を適正に管理し、持続可能な自然を育成・保全することで、地域が循環し潤うシステムを構築するということなのだ。だけれども、間伐するということだけが最前線に立ってしまっていると本質的な議論だできないまま、色々な問題点を露出することになる。兵庫県丹波市に拠点を置くウッズの能口さんは、その危ぐを端的に指摘してくれた。

間伐促進だけが先走りしてしまって、それこそ補助金狙いの無茶な間伐をする個人所有者や企業が増えつつあるというのだ。間伐は適正な量を適正な計画のもと作業道を整備し木材を伐採すべきなのに、大量に伐採したいがために無茶な道を付けたり、間伐も補助金ありきの考えかたが中心になってしまっては伐りすぎてしまうことにもなる。

山を森を持続可能な資源として地域とともに共存し循環していくシステムをつくるには、森を計画的に伐採し、植樹し監理していくフォレスターの存在・育成が大切で、伐採後の間伐材の適材利用が必要だ。間伐材と言っても、何を持って間伐材というかの定義が難しく、小径木の木だけが間伐材ではない。中には100年を越すものもあり、伐採後の適材用途がなければ、山主さんに適正なお金が落ちない。となると、やはり伐るのを躊躇してしまうという悪循環。

森を適正に管理するということは、どのようにどれだけ伐り植えるかだけの問題ではない。色々な大きさ年数の木材を適材利用できるバリエーションをもたなければならない。

そういう意味でデザインは重要で、その分野について僕は何か一役買いたいを思っている。あと、木質バイオマスの分野についても潜在性は高く、これは役所などと連携してウッズさんのような組織が大きな計画の中で進めていくべきものであるだろう。

というような現状を目の当たりにして、のんきに「間伐材つかってま~す」なんて言えないな、と最近思っている。わかりやすく伝えるためには使わざるを得ないフレーズではあるが、もっと適正な言葉を捜している。

2012年6月12日火曜日

岡本ハッピーバトン2012ワークショップレポート


さて、今更ながらのワークショップレポートを連投します。 ミドリカフェさんなどが主催する「岡本ハッピーバトン」も今年で2回目。身近なひとをハッピーに!というスローガンは、今の僕たちの皮膚にシミワタルように浸透してゆき、できることからでいいから自分ができることをしっかりとやろうとみんながこころに刻みはじめている。こういった『センス」と「行動」は、岡本に限った事ではなく、同時多発的にそして自発的におきているし、ツイッターやフェイスブックというメディアがこのような共感の輪を更に広げているようなきがしている。 2012/3/31。僕たちは、ここに帰ってきたような気持ちでいた。カホンプロジェクトの活動も3年を迎え、カホンをつくるという単純な「センス」と「行動」は仲間が仲間を呼び、環境教育であったり地域デザインであったりジャンルを超えたプロジェクトへと展開しつつあるおかげで、西へ東へとても忙しい日々を過ごしていた。そのなかでの神戸ミドリカフェ。 思い返せば、ウチダさんとはもう5年も前からの付き合いだけど。このような「センス」と「行動」のきっかけを作ってくれたのは、明らかにミドリカフェという「場」であった。グリーランドプロジェクトなどのイベントやプロジェクトを経て、ミドリカフェはひとつのオリジナルをつくりだそうとしているし、僕にとってはそれがカホンプロジェクトに繋がっている。 そして、いつも以上に濃いメンバーとスタッフがそろった。僕、塾長、八崎くん、西條さん、内田さん、森さんなどのスタッフに加え、参加者のひともこれまで色々おつき合いいただいた面々。嬉しすぎる。そして、使う間伐材は、丹波の杉。カホンづくりの前には森とマチをつなぐ「木の話」。 僕たちのやっていることはとてもスケールの小さなことだけど、日本の森には、伐る時期がきているにもかかわらず放置されている森がたくさんあり、森を守るためには計画的に木を伐り、そして木を植えていかなければならないこと知らないひとがまだまだたくさんいて、それを伝える事でそれぞれのひとの「センス」と「行動」が変化していくことを信じているのだ。 だからなに? という問いは僕らには無関係だ。 身近なひとからハッピーにしようという「センス」が、ただ「行動」に現れているにすぎないのだからね。

2012年6月9日土曜日

DIYは日曜大工?

DIYを直訳すると「自分でやる」ということだと思うのだけど、なぜか日本語で言うと「日曜大工」になってしまう。言い得て妙というか意訳としては素晴らしいとも思うが本来の意味とは少しかけ離れているようにも感じる。 そもそも、日本にはDIYの文化意識が低いと言われるが、この一般的な認識には少し疑義を唱えたい。このように言われるのは恐らく「戦後の高度成長期の日本」という注釈がつくだろう。
DIYは欧米の文化のように思われがちだが、日本でも昔は、集落の身近なところに里山があって、そこから木を切ってきて椅子や机をつくったり小さな小物をこしらえたりしていたことだろうし、なんでも「自分でやる」を実践していたのではないだろうか。
それが、高度成長期には「自分やる」働き頭であるお父さんは勤め人となり、家のことを「自分でやる」 より働いたサラリーで「買う」ことのほうが手っ取り早くなってしまった。そして、昔はそれ事態がライフスタイルのなかに溶け込んでいた「自分やる」ことも、次第にビジネスとして成り立つようになり、お父さんが「自分でやる」ことをイベントとして楽しむようになった。そういう意味で「日曜大工」というのはステキな意訳だなと思う。 でも時代は常に変革している。その時代にマッチした言葉というのは、時代背景を表せば表すほど時代からおいてきぼりにあう。
貨幣社会の閉塞感がマックスに到達しようしているなかで、僕たちは「自分でやる」ことの意義を見いだそうとしている。色々な場所で色々な人達が、自らアーティストになり自ら職人となり、自ら発信している。それをDIYというべきかどうか、言葉の選択肢にストレスを少々感じるけど、「自分でやる」ことを実践する生活スタイルが浸透しつつある。
しかも、高度成長期のように「日曜大工市場」をビジネスモデル化するのではなく、それは共有であり、共感であり、コミュニティのなかで行われようとしているのだ。<BR>

2012年6月6日水曜日

東田まつり2012

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東田まつり2012, a set on Flickr.

2012/5/26-27 東田まつりのカホンづくりワークショップのアルバムをアップしました!